心を光で照らす華珠chizukoのつぶやき

今日から春のお彼岸です

徒然

彼岸の意味とは? 

 

お彼岸の意味とは?

春のお彼岸は3月の春分の日を中日として前後3日間の計7日間を期間とし、秋のお彼岸は9月の秋分の日を中日として前後3日間の計7日間を期間とします。
春分の日と秋分の日は、国立天文台がその前年の2月に官報で公表をし、翌年の日程が定められることになっています。
日付を決める際には、国立天文台が作っている歴象年表から天文学的な春分日と秋分日を割り出しているとのことです。

お彼岸の意味とは?
春のお彼岸は3月の春分の日を中日として前後3日間の計7日間を期間とし、2023年は本日3月18日(土曜日)から
3月24日(金曜日)までです。





目次
彼岸という言葉はもともと仏教の言葉であり、意味としては煩悩を脱した悟りの境地のことを指しています。
煩悩とは、心身を悩ませ、乱し、煩わせ、汚すすなわち悟りの境地を妨げるあらゆる精神作用のことです。さらに、三途の川をはさんで、我々が住んでいる世界を此岸、そして向こう側の仏様の世界を彼岸といいます。
つまりお彼岸とは、我々人間の迷いや苦しみの原因となる煩悩のない、悟りの境地に達した世界であり、極楽浄土のことを言います。
お彼岸の言葉の由来
有名な仏教の経典の一つである般若心経にも「般若波羅蜜多」という部分があります。この「波羅蜜多」が「パーラミター」のことであり、悟りの境地に達すること、またはそのために積むべき修行という意味を持つ言葉なのです。





彼岸という言葉はもともと仏教の言葉であり、意味としては煩悩を脱した悟りの境地のことを指しています。
煩悩とは、心身を悩ませ、乱し、煩わせ、汚すすなわち悟りの境地を妨げるあらゆる精神作用のことです。さらに、三途の川をはさんで、我々が住んでいる世界を此岸、そして向こう側の仏様の世界を彼岸といいます。
つまりお彼岸とは、我々人間の迷いや苦しみの原因となる煩悩のない、悟りの境地に達した世界であり、極楽浄土のことを言います。
また、お彼岸という言葉には、数々の煩悩に打ち勝ち、悟りの境地に達することができるように、仏道の修行を積む期間という意味合いもあるようです。

普段から仏道の修行を行っていない人も、彼岸の期間になると、煩悩を払うために西に沈む太陽に祈りを捧げていたようです。
、春分の日と秋分の日の中日は、太陽が真東から出て真西に沈みます。よって、この日に沈む太陽を拝むことは西にある極楽浄土に向かって拝むことになるのだと言われています。
私たちが普段耳にするお彼岸という言葉は、悟りを開くための仏道修行というよりは、この期間に行われる彼岸会の法要やお墓参りのことを指していることが多いかもしれません。
お彼岸の言葉の由来
お彼岸という言葉の由来について考えてみましょう。

彼岸という言葉は、サンスクリット語の「パーラミター(波羅蜜多)」の漢訳「到彼岸」を略した言葉であると言われています。


サンスクリット語の「パーラミター」とは本来は完成する、成就するといった意味がある言葉です。その完成するといった意味が転じて、仏道の様々な修行において達成されるべきものであるという意味合いを示すようになっていったとのことです。
有名な仏教の経典の一つである般若心経にも「般若波羅蜜多」という部分があります。この「波羅蜜多」が「パーラミター」のことであり、悟りの境地に達すること、またはそのために積むべき修行という意味を持つ言葉なのです。

我々の世界に溢れる煩悩や苦しみ、欲といったものから逃れ、自由になるために悟りの境地に達することが、仏教における「パーラミター」です。
この思想がやがて、我々日本人古来の風習や自然観、そしてご先祖様を崇拝するという習慣と結びついていくことで、此岸という我々の住む世界を表す言葉と、彼岸という仏様の世界、すなわち悟りの境地に達した世界を表す言葉が生まれました。

お彼岸という期間は仏教の影響を受けていながらも、実は他の仏教国では設けられていませんし、ご先祖様を供養するといのも日本独自の風習です。
日本では、この期間には彼岸会の法要を行っている寺院が多く存在します。宗派は問わず檀家同士で集まってご先祖様を供養しお墓参りをするという日本古来のお彼岸の風習が根付いているのです。


*お墓参りに行けない方、ご自宅で天国にいらっしゃる方々のお写真を飾ってお線香を焚きながら語り合って下さい。


お問合せはこちら



セッションメニューこちらからご覧いただけます。



コメント

タイトルとURLをコピーしました